13.1.19

京都・大徳寺~源光庵と光悦寺

2017年夏休みの最後の更新は
京都 大徳寺です。

京都はもう何十回と訪れている街ですが
行きたい所は尽きることなく
見どころの多い街で
まだまたお寺周りがしたいですが
大徳寺周辺に絞りました。

大徳寺へのお出かけの始まりは
阪急「西院」駅から。
京都に詳しい方なら
え?と思われるでしょう?^^
この日はすべて自転車で移動するからです。
阪急電車が運営しているレンタサイクルで
自転車をお借りしました。

したときはJRの駅リンくんを利用しましたが
今回も駅のレンタサイクルで
普通のレンタサイクルよりもお得に
自転車が借りれました。
返却は翌日10時までで
当日は23:30分まで返却できますので
夜遅くなることもあってすごく便利でした。
(通常は17時とか18時までですよね?)

↓ 瑞峯院


キリシタン大名として知られる大友宗麟公が
1535年菩提寺として創建。
本堂、唐門、表門は創建当時のもの。


庭園は独坐庭と称し、
砂紋(荒海)苔と石頭で
蓬莱山の枯山水の名園として知られる。

↓ 興臨院
(普段は非公開、9月の特別公開時に参拝)


1521-1528年、能登の守護、畠山義総が創建。
その法名を取って寺名を興臨院とした。
畠山家の衰退と共に荒廃するが、
1581年、前田利家によって
屋根の葺き替えが行われ、
以後、畠山家に加え前田家の菩提寺ともなる。


「昭和の小堀遠州」とも言われた作庭家
中根金作が復元した
桃山風の荘厳な石組みを持つ方丈庭園


↓ 大徳寺
(普段は非公開、9月の特別公開時に参拝)


鎌倉時代末期1315年、大燈国師宗峰妙超が開創。
室町時代には応仁の乱で荒廃したが、
一休和尚が復興。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、
信長の菩提をとむらうために総見院を建立併せて寺領を寄進、
それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から三門、仏殿、法堂(いずれも重文)、
方丈(国宝)と南北に並び、
その他いわゆる七堂伽藍が完備する。
千利休によって増築された三門二階部分を金毛閣と称し、
利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい
利休自決の原因となった。
本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は
江戸時代初期を代表する枯山水。
方丈の正面に聚楽第の遺構と伝える唐門(国宝)がある。
什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、
絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。

途中大徳寺近くのイタリアン「Anri」さんでランチ。






↓ 龍源院
 滹沱底 こだてい
お庭の左右に豊臣秀吉がこの地に建てた
聚楽第(じゅらくだい)の基礎石が配されているので
「阿吽(あうん)の石庭」とも呼ばれています。

東滴壺 とうてきこ
日本最小の石庭

方丈前庭  一枝坦

竜吟庭 りょうぎんてい
室町時代、相阿弥(そうあみ)によって作庭されたと言われています


↓ 大仙院


1509年、六角近江守政頼が
その子古岳宗亘和尚を開祖として創建。
本堂は創建当初の建物。
禅宗の方丈建築としては最も古い遺構の一つで国宝。

大徳寺から2㎞程北へ。
↓ 源光庵


1346年、大徳寺2代徹翁義享国師によって開創。
1694年(元禄7)卍山道白禅師により
臨済宗から曹洞宗に改められた。
現在の本堂はその年の建築。


丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」


↓ 光悦寺


江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年、
徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び
法華題目堂を建てたのが起こり。
光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。
境内には、大虚庵など7つの茶室がある。




御寺参りを終了し京都でフレンチ。
ずっと遅れていた12年半の結婚記念日をお祝いしました。

レストラン 「コム シェ ミッシェル」







お料理はもちろん美味しかったです。^^
こんなにたくさん頂いて
オランダではありえないお値段。

電話予約の時から
最後のお見送りの時まで
ずっと気持ちの良いサービスで
もてなして頂きました。
ありがとうございました。
また伺いたいです。

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