17.6.14

シーボルトと先生のお庭番 地図編

文政11年(1828年)9月、オランダ商館付の
医師であるシーボルトが帰国する直前、
所持品の中に国外に持ち出すことが
禁じられていた日本地図などが見つかり、
それを贈った幕府天文方・書物奉行の
高橋景保ほか十数名が処分され、
景保は獄死した(その後死罪判決を受けている)。
シーボルトは文政12年(1829年)に国外追放の上、
再渡航禁止の処分を受けた。

↓ シーボルトが国外に持ち出したため
幾人もの命が犠牲になった地図の一部です。


分間江戸大地図






ウィキペディアより
文政6年(1823年)に長崎へ来日したドイツ人医師シーボルトは
文政9年(1826年)に江戸へ参府する。
最上徳内はシーボルトを訪問し、
何度か会見して意見交換する。
学術や北方事情などを話題に対談し、
間宮林蔵が調査した樺太の地図を与えたほか、
アイヌ語辞典の編纂をはじめ
日本研究に熱心なシーボルトに協力する。
文政11年(1828年)にシーボルトが帰国する際に
国禁の日本地図持ち出しが発覚し、
シーボルト事件に至るが、徳内は追及を免れている。


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