11.6.14

シーボルトと先生のお庭番 標本編

旧シーボルト邸 現在はシーボルトハウス(シーボルト博物館)

5月に所用でライデンへ出かけたときに寄った
旧シーボルト邸。
もう何度も訪れている博物館なのですが
もう一度行ってみたくなったのです。
理由は 『先生のお庭番』 という本を読んだから。

ライデンの街並み

東インド会社から出島に派遣されたシーボルトと
シーボルトの薬草園のお庭番について
書かれています。

シーボルトがヨーロッパで初めて
日本の植物を紹介したこと、
日本人女性、お滝さんとの間に
後に日本最初の女医になる
女の子をひとり授かっていたことなどは
知っていたのですが
出島の薬草園にお庭番が居たことは
全く知りませんでした。

日本に戻ったシーボルトのコレクション
(植物標本だけでも12000点)は
現在複数の博物館に展示されていますので
シーボルトハウスでは
一部のコレクションのみとなりますが
どうぞご覧ください。

出島の薬草園で採取したチャノキの標本
チャノキの苗木がバタビア(現インドネシア)に植樹される。

伊藤圭介の植物標本
医師であり植物学者であった伊藤圭介は
シーボルトに渡すこの植物標本を携えて
1826年長崎に赴いた。
自ら作成した標本にオランダ語で
説明文が記述されている。

ヤマノイモ
長崎 英彦山にて採取 シーボルトの弟子の筆

ヤマテマリ ツリウツギ(ノリノキ、ノリウツギ)

シロドウダン
シーボルトが雲仙岳で採取したもの

シキミ
シーボルトが長崎北部岩屋山で採取したもの

ナツツバキ
腫物や湿疹の薬が作られた

ツワブキ


ガクウツギ

熊吉は名を付箋に記し、
押し葉や押し花などの標本に張り付けていく。
(先生のお庭番より)



紫陽花

紫陽花と言えばまん丸の
花姿の花を思い浮かべますが
シーボルトの時代 1800年代初期は
ガクアジサイが一般的でした。

花のようにみえるのはガクで
その内側にあるのが花なのですが
その花が退化してガクのみになったものは
大変珍しかったようです。

シーボルト筆
紫陽花 学名 Hydrangea Otaksa

この珍しい花にシーボルトは
お滝さんの名前をつけました。
学名 Hydrangea Otaksa
(後、シノニムと判明し無効となる)

シーボルトと薬草園の園丁熊吉の伝えたかったもの。
『西洋に日本の草花を根づかせたい』

オランダで日本原産の花を見るたび
シーボルトの功績に思いを馳せていましたが
そこに熊吉さんという
日本の職人の多大な努力が
あったのだという事実が加わり
深い感銘と共に眺めるようになりました。


先生のお庭番より

船がこの長崎の湊に入ったとき、
私は己が目を疑った。
諸国をめぐった東の果てで、
この世で最も美しい風景に出会ったんだ。
山の緑、すそ野に広がる蜜柑の木、
田畑の稔り、
どこも隈なく人々が手をかけ、
慈しんでいることがわかった。
ころほど野山を愛おしむ人々を
私は他に知らない。

一万の言葉を費やすより、
花一本の美しさで
人々は正しくやぱん(日本)を知るだろう。
憧憬を持って。


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